グルメほど高級店に縁遠い

日常で自分の食べる料理について考える時間が長い、食にこだわりの強い人、グルメほど高級店に縁遠いと気がついた。

毎回リサーチや熟考を重ねて週に3,4回外食を楽しんでいるなかで、今日も晩飯に満足して帰路についている中で、あれこれ振り返っている中でふと思い至った。

考えれば至極当然のことだ。日々の食事に満足を求めるがゆえに、特別な機会のための懐は痩せていく。可処分所得が同じ人で比べれば、食へのこだわりがそれほどない人に比べて毎日の食にこだわれば非日常の贅沢への予算は必然的に縮小する。

一方でこだわりがそれほど強くない人たちは、日々の食事にさほど頓着せずたまの贅沢に全てを注ぎ込む。結果、自称グルメの自分より高級料理店を経験しているのかもしれない。

しかし彼らを羨む必要もないと思った。まず日常的に通う価格帯のお店の料理より、高級料理店の料理のほうが普遍的に美味しいというのは事実ではないので、より美味しい料理を知れる非グルメが妬ましいということではない。

またその日の気分や体調に合わせて例えば「今夜はアマトリチャーナだな」と的確に欲求を満たせる。ここは食にこだわってきたこれまでの積み重ねの結果だ。

それでもたまには高級なお店で食事体験をしたい。高級なお店でのみ体験できるテーブルサイドで行われるカービング(デクパージュ)を含むフルサービスは、お金を払って体験できる娯楽のいちジャンルとして確立されているし、やはり傑出している。

そう思いながら、また食べログを開く。明日の昼食を決めるために。そして、いつか訪れる奮発する日のために。